また明日 という言葉
昨日の深夜 通天閣の下で
いつもの おばちゃんに おつかれさんを言うと
一緒に歩き出して 話はじめた
どうやら お金をかして かえってこないらしい
つきあい というものに
おばちゃんの哲学があり
それは 筋がとおっているのだけれど
そのことで 傷つくこともあるのだと思う
だから まったくの第三者に話たくなるのだろうな
で 話はそこで 終わらなくて
「トイレをかしてくれ」という
もちろん どうぞ
部屋に 招き入れる
用を足したおばちゃんは 帰って行く
「また 明日」という言葉を
どちらともなく声かけて
しばらく 窓という窓を開けて
猫を逃げないように別の部屋に閉じ込め
「人間は 誰かの家で 孤独なときもある」のやな と思う
*
今日は しんどくて起き上がれず
ココルームにいっても これはマズイ
ぎっくり腰になるかも と思われ
鍼灸院にいくことにする
つるかめ治療院が年末に廃業して
おなじ場所に 鍼灸院がオープンしていたのを思い出して
訪ねていった
すると つるかめ治療院のスタッフの面々がでてきて
吃驚びっくり
「ご指名は?」ときかれ
「吉田先生」と答える
と 吉田先生がでてきて うれしい吃驚
夕暮れに とぼとぼと ココルームに戻る
なんやかやと よたよた 仕事を片付けていくが
ほんとは ゆっくり養生したほうがいいのだろうなあ と
思うが 仕事があったら 仕方が無いわな
障害者との舞台公演をつくった人と
話をする
舞台にたつということの 覚悟というか
人にみせる ということの ひきうけかたというか
その点について
身内のり の ものをみても
全然おもしろいと思わない
開いていないもの を みても
困ってしまう
一回転して 開いてしまうまで
とことんやるか どっちかだよね
また 明日
いい言葉やな
by books131 | 2006-05-03 00:21