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沖縄三味線をならったこと

一度だけ 沖縄の三味線をならった
「さんしん」と発音する

奈良県育ちのわたしが沖縄にであったのは 
もう10何年以上も前のことで
当時 高校生だった

文通していた方が 東京で
若者たちといっしょに いろんな試みをしていて
フィルドワークや勉強会などをおこなう合宿を主催していた
それに 参加しようとおもって 両親に頼み込む
東京へでかけたわたしは そこで
沖縄から 生徒たちを引率していた先生としりあうことになる
ながく 時間を話したわけではないが
年賀状をやりとりした
その1年後 高校を卒業するさい
いわゆる 卒業旅行を 沖縄一人旅をやりたいとおもい 奔走
といっても 旅費は両親にもらってるので
両親のおかげなのであるが

その先生に 保護者役割をお願いし
今からおもうと どこの娘かもわからないものを
よくぞ まかしてください と引き受けてくださったものだ

そして一週間 沖縄のすみずみ
観光客のいかないところまで
暮らしの機微から戦争の重さまで じっくりとみせてもらった

たちうちできない情報量に 幼いわたしは おののく

現代を 金太郎飴みたいな 予定調和な それでいて核のない毎日だと
思っていたわたしは
世の中には おおくの かなしみや苦しみが積み重なり
不条理で傲慢で無意識な罪があることを知る

 知ってしまった者は死刑だ

というフレーズが 当時のわたしの詩のなかに盛り込まれている

それから 時間が経過して 今は

死刑なのではなく
じゃあ どうするねん と自問自答のすえ
ともかく 想像力と 覚悟をもって 人生に後悔のない
判断をして 行動していくしかないのだと 思っている

昨年 ココルームを会場にして
「人類館」を取り扱うシンポジウムがあった
関西沖縄文庫の金城さんが催されたもので
それをきっかけに おはなしをきいたりする機会がふえた

そこで 語られたことは
厳しくも 筋のとおったもので 一貫していた

沖縄人ではない ヤマトンチューである自分は
さんしんを手にしたとしても 沖縄にこころがむかうのではなく
自分にむかっていくしかないのだと 思う

いちどだけ さんしんを手にし 観光客気分で
一枚の写真だけが残っている

by books131 | 2004-05-23 12:39